
歴史
京都紫明ライオンズクラブについて
京都紫明ライオンズクラブは、1962年11月28日に京都葵ライオンズクラブをスポンサークラブとして結成され、翌年1963年10月22日に国際協会よりの認証状伝達式がとり行われました。以来、地区キャビネットのホストクラブをつとめるほか、京都ロイヤルライオンズクラブを新結成(エクステンション)するなど、伝統と栄光に輝くクラブです。
また、国際的には台中市西區獅子会、フィレンツェライオンズクラブ、国内では高松紫雲ライオンズクラブ、鹿児島中央ライオンズクラブと姉妹盟約を提携、2011年には函館北斗ライオンズクラブとの友好提携をし、交流をはかっております。
当クラブの事業活動としては、結成以来多くの奉仕事業を行い、美化活動や平和授業など様々な活動を積極的に行うほか、薬物乱用防止教室など青少年の健全育成にも努めています。
紫明の由来

国際文化観光都市 京都において、江戸後期の儒学者 頼山陽の京洛の 美しさを形容した「山紫水明処」より命名されました。
「山紫水明処」
丸太町橋の北側、鴨川の西岸に佇む風情ある建物で、頼山陽が書斎兼茶室として用いた場所です。
頼山陽(安永9年~天保3年・1780~1832年)は、江戸時代後期の儒学者であり、詩人、そして歴史家でもありました。
彼の手による『日本外史』や『日本政記』といった著作は、明治維新を目指した尊攘派の志士たちにとって、精神的な支柱ともなりました。